はらり、はらり。

風に揺られ、薄桃色の花びらが舞う。

ひとつ、ふたつ。

みっつ、よっつ。
切なさと儚さを込めて、舞い落ちる―。





桜花咲き乱れ





「そこ!動きが鈍いよ。
打ち込みが甘い!そんなんじゃ簡単に返されるよ。」


「おーおー。相変わらず威勢のいいことで。」


「丸井、さぼってる暇があるなら俺の新メニュー試すか?」


「げっ!それは勘弁っ。」


蓮二の脅しに全力でコートへと戻っていくブン太。
その後ろ姿を、やれやれといった表情で見送る。


今はテニス部の練習真っ最中。
部長である幸村が直接指導している。
その様子をコートの外からいつものノートを片手に眺めていた。


はらり


その時、不意に目の前に舞い落ちてきたのは薄桃色の花びら。


少し横を見上げると、微かに花を咲かせた桜の木が目に入った。
どうやら何かの拍子に花びらが落ちてしまったようだ。


「…もう1年になるのか…。」


小さく呟く。
それは誰かの耳に入ることなく、静かに消えていった―。





「今日の皆の様子はどう?」


「問題ない。だが、少し赤也の動きが悪かったな。」


「そう。じゃあ明日は少し注意しなきゃいけないね。」


部活が終わった後の部室。その中にある机に向かい、幸村と蓮二の2人は話していた。
内容は専ら今日の部活のこと。部員の練習中の様子や、調整具合。そしてそれを元に、翌日のメニューを考える。


いつもと同じ光景。


だが、そこにある違和感。本来ならばいるはずの存在。それがいないことに、幸村は気付かない。


…いや、分からないのだ。


「今度の試合のメンバーも、いつもと同じになりそうだね。レギュラーが入れ替わることもなさそうだし。」


「ああそうだな。」


相槌を打つ。普段を装いつつも、蓮二の目には悲しみの色が滲む。先ほどの桜の花が、思い出させたのであろう。
会話をしつつもあのことが思い浮かぶ。


気付かないことが罪ではない。彼は十分苦しんだのだから。あんな姿、彼も望みはしないだろう。


強く、気高かかった彼ならば。


悲しみを背負って生きるのは自分達だけでいい。その苦しみも、悲しみも思い出も全部抱えるから。


だから君だけは笑っていてー





「あと少しで満開ですね。」


桜の木を見上げながらそう呟くのは柳生。彼の横には蓮二の姿。
蓮二も同じように見上げている。


「ああ。早いものだな。時が経つというのは。」


「ええ。」


会話が切れる。途端に静かになった空間。春特有の温かい風が、ふわりと吹いた。


『ーーー。』


「ん?」


その時、不意に周囲を見回す蓮二。


「どうしたのですか?」


怪訝そうな顔をする柳生。


「…いや、何でもない。」


何でもないと返す。不思議そうな顔をしつつも、追及はしない。だが、そんな柳生にも気付かず蓮二は先ほどの思考を振り切ろうとする。


(まさかそんなことはない。あいつは、もう…。)


考える彼の目の前、桜の花びらが1枚、静かに舞い落ちたー





「「お疲れっしたー。」」


今日の部活が終わる。1年生達に片付けを任せ、レギュラー達は帰り支度をするために部室へと戻る。


「それでそこで仁王先輩がー。」


「プリッ。おい赤也。話を捏造するんじゃなか。俺がわるもんみたいじゃろ。」


「へー。お前が悪者じゃないなんて初耳だな。詐欺師ー。」


「なっ。それとこれとじゃ全くの別物ナリ。」


わいわいと会話しながら着替える。その様子を横目で見ながら、他のメンバーも帰り支度をしていく。


「んじゃ、俺ら先帰るなー。」


鞄を掴み、そう言うメンバー。


「うん。お疲れ。」


「お疲れー。」


帰って行く彼等を見送り、自分は日誌を書くためにペンを取り出す。


「精一、悪いが俺達も先に帰るよ。」


そう言うのは仁王達と一緒に帰らず、残っていた蓮二。彼と同じく残っていたジャッカルも、同じように帰ると言う。


「分かった。後のことはやっとくから。」


「すまない。今日は、少々用があるものでな。明日は俺がやろう。」


「ありがとう。じゃあ、また明日。」


そう言葉を交わすと、蓮二とジャッカルは部室から去って行った。1人残った静かな部屋に、ペンを走らせる音が響くー





「大分遅くなってしまったな。」


あれから、全部が終わったのは日も完全に落ちた頃だった。残っているものを終わらせようと思ったことも、ここまで遅くなってしまった原因であるのだが。


「早く帰ろう。」


家で心配しているであろう親のことを考え、足早に部室を出る。鍵をしっかりと閉め、確認。よし、と小さく呟き、校門へと向かおうとする。と、その時だった。


「?誰かいる…?」


部室を出てすぐ、不意に目に入った人影。テニスコートの側にある桜の木の下に1人、佇んでいる。


「あの、そこで何をしているんですか?」


そう声をかけると、人影はゆっくりと振り返る。自分と同じ立海の制服に、被られた黒い帽子。その男は、静かに幸村を見据える。沈黙が訪れる。
だが、幸村は気付かなかった。帽子の奥に隠された彼の瞳が、酷く愛しそうに細められたことをー





「精一、昨日はすまなかったな。」


次の日の朝。朝練のために部室へとやって来た幸村に、蓮二はそう声をかけた。


「別にいいよ。そんなにやることもなかったしね。」


笑みを浮かべながら返す。それに蓮二も口元を緩めた。





部活終了後ー。


「精一、今日は俺がやろう。昨日任せてしまったからな。」


そう言いながら日誌に手をかけようとしている蓮二を、幸村は不自然にならない程度に止める。


「いや、今日も俺がやっておくよ。蓮二は帰るといい。」


「しかし…。」


「大丈夫だよ。俺、まだちょっと用があって学校に残るから。」


笑顔でそう言う幸村に負け、蓮二は鞄を手に取った。


「分かった。じゃあお言葉に甘えて先に帰るよ。」


幸村に見送られて部室を出ると、側に生えている桜の木が目に入った。この前に比べ、綻んでいる花が多い。


「…。」


桜の木をしばし無言で見つめると、蓮二はゆっくりとその場を立ち去っていったー。





「…なあ。最近幸村、ちょっとおかしくねぇか?」


とある日のこと、突如そんなことを言ったのはブン太。


今は丁度昼休み。蓮二の教室に押しかけ、一緒に昼食を取るとやって来たのはブン太。どうやらいつも一緒に食べるジャッカルが、委員会だか何かの用事でいないらしい。


「…どういう意味だ?」


普通の昼休みの光景のはずだった。しかし、突如そんなことを言うブン太。彼の意図が掴めず、蓮二はそう返した。


「最近幸村、妙に部活が終わってから残るじゃねーか。」


「それは本人が、仕事があると言っていたが…。」


「そこだよ、1番妙なのは。」


蓮二の言葉を遮る。


「今までは蓮二が変わるって言ったら、すんなりと変わったじゃねーか。でも最近は違う。絶対にとまでは言ってねーが、そんな雰囲気がある。」


ブン太の言ったことは事実だった。確かに、蓮二も疑問には思っていた。だが、そこまで不自然なことではないため追及出来ないでいたのだ。


「…なぁ、一体何があったと思う?」


ブン太のその問いに、返す言葉が見つからない。


「…別に、俺の単なる思い過ごしならそれでいいんだ。何もないなら。…でも、心配なんだ。」


ブン太のその問いに、返す言葉が見つからない。


「…別に、俺の単なる思い過ごしならそれでいいんだ。何もないなら。…でも、心配なんだ。」


ブン太の気持ちが、蓮二には痛いほど理解出来た。


…恐ろしいのだ。再び失うことが。


「…とりあえず注意して精一を見ていよう。他の皆にも言っておく必要があるな。」


蓮二の言葉にブン太は頷く。
賑やかな教室の中で、2人のいる空間だけ切り取られたかのようだった…。





「幸村、今日ちょっと付き合って欲しいんじゃけど。」


あれから数日、相変わらず幸村は部活が終わってから1人で残る日が続いた。
絶対に何かあると踏んだブン太と蓮二は、確認するために部活後、残ることに。しかし幸村がいてはまずい。そのため、仁王達にも協力を頼んだ。
仁王と柳生の2人が幸村を誘い、早々に学校から立ち去るように仕向ける。そしてその間に、蓮二とブン太が学校内を捜索するという手筈になった。
ちなみにジャッカルは赤也を連れて帰る役割を割り当てられていた。
この中で唯一、赤也は知らない。蓮二達が何を隠し、何を知っているのかを―


「えっ…でも…。」


戸惑う幸村。だが、ここで引くわけにはいかない。


「ちょぉお前さんに見てもらいたいもんがあるんじゃ。」


こんな時は仁王の出番。巧みな話術で幸村を丸め込む。さすがは詐欺師。


「…分かった。付き合うよ。」


遂に折れた幸村。荷物を纏め始める幸村に気付かれないように、仁王は蓮二に目配せ。頷く蓮二。


「お待たせ。」


「すまんの。んじゃ、行くか。」


「ええ。行きましょう。」


仁王と柳生と共に部室から去る幸村。


彼等が去ると、ジャッカルも立ち上がる。


「んじゃあ赤也、俺達も帰るか。」


彼に促され、赤也ははーいと返事を返して鞄を掴む。


「んじゃ、明日な。お疲れ。」


「お疲れ様っす。」


そう言って部室を立ち去る2人。後に残されたのは、蓮二とブン太。


「さて、行くとしよう。」


「ああ。」


そう言葉を交わすと、部室を出る。とりあえずどこから探そうかと思った、その時だった。


「…柳…。」


不意に腕を引くブン太。何があったのかと振り返った瞬間、蓮二の顔が凍った。


「…!!」


テニスコートの側に立つ桜の木。数日前とは違い、花は既に満開になっていた。咲き誇る桜の木の下、黒い帽子を被った1つの人影が佇んでいた。


「そんな…。」


よく知ったその姿。もう見ることはないと思っていた。だが、彼はそこにいる。
蓮二の言葉に反応し、人影はゆっくりと顔を上げる。


精悍な顔は、記憶の中のものと何1つ変わらない。男は、ゆっくりと口を開く。


「…久し振りだな。蓮二、丸井。」


「何故…何故お前がここにいる?!弦一郎っ?!」


困惑した表情を見せる2人。


彼等に切なそうな笑みを浮かべ、彼―真田弦一郎は口を開いた。


「…少々、やり残したことがあってな。」





「ねえ真田、今度の休みはどこに行こうか?」


「俺は幸村の行きたい所だったらどこでもいいぞ。」


「ホントに?!ありがとうっ。じゃあねー。」


隣でどこへ行こうかと真剣に悩む幸村に、思わず笑みが浮かぶ。それは普段あまり笑わない自分にしてはかなりの笑み。
だが、それはあまりに僅かすぎて普通では分からないらしい。少し前にブン太に言われた。分かるのはどうやら幸村くらいのようだ。


ふと目を横へ向けると真剣に悩む幸村。そんな彼がかわいいと思ってしまう自分は、重症なのだろうか?


「決まったか?」


「うーん。」


尋ねてもまだ決まってはいないらしく、唸るだけ。また笑みを浮かべ、待っててやることにした。


―真田と幸村。この2人が付き合い始めてしばらく経つ。告白したのはまさかの真田だったが、幸村もずっと片思いをしていたためその場で了承。晴れて恋人同士となった。
部内でも2人は公認の仲。メンバーに祝福され、幸せと呼べる日々を過ごしていた。


「どうしようかなぁ…?」


そして今度の日曜日、久々に部活がオフになった。こんなことなどめったにないため、どこかへ出掛けようと思い、提案したのだった。


「…ならば花見にでも行くか?今の時期、丁度満開だろう。」


「それに賛成!いいね。どこか有名な所にでも行こうっ。」


年相応の、満面の笑みを真田に向ける幸村。彼に笑みを返すために、そちらに顔を向けた時だった。


「危ないっ!!」


怒鳴り声と共に突き飛ばされた体。何が起きたのか分からなかった。


「えっ…?」


時がゆっくりと流れるかのような錯覚。全てがスローモーション。見開いた目の先には、どこか穏やかな顔をした真田。
力一杯、手を伸ばす。しかし、それも空しく宙を掻く。


「真田ぁっ!!!」


『―――。』


真田の口が動く。しかし声は幸村の元まで届かない。


ドンッ!


人がはね飛ばされる重い音。目に焼き付くのは、紅。
響くサイレンの音。騒ぐ人々。


真田に突き飛ばされた拍子に頭をぶつけたのだろう。脳内がグラグラと揺れている。
上手く動かない体を叱咤し、力を振り絞って倒れ伏す真田に手を伸ばす。


微かに触れた手。失われつつある体温に、涙。


『真田…。』


遠のく意識。目を閉じる瞬間、真田のはにかむような微笑みが、消えた…。


―今から丁度1年前。幸村が大切なものを失った日。共に見に行こうと誓った桜は、満開―





「記憶喪失です。」


医師の告げた言葉が信じられなかった。しかし、自分達を真直ぐ見る彼の目には嘘の欠片もないことがはっきりと分かる。


「そんな…。」


帰宅途中の真田と幸村を襲った悲劇。暴走した車が、2人のいた歩道に突っ込んできたのだ。
咄嗟に幸村を庇った真田。車の直撃は免れたが、頭を強く打ち気を失った幸村。
人の多い時間帯だったため、通行人の通報によりすぐに2人は病院へと搬送された。


『すぐに○○病院へ!!』


部活のメンバーの元へ、そんな電話がかかってきたのは事故があって少し経った頃。駆け付けた彼等に突き付けられたのは、無情なる現実。


「真田…。」


通された真っ白い部屋。その中央に横たわるのは、真っ白な布をその顔にかぶせられた…真田。


「…運ばれて来た時には既に…。」


重々しく告げる医師。車にはねられた衝撃が、それほどまでに強かったということ。
しかし、布をどけた真田の顔はどこか穏やかだった…。


「…幸村は…?」


悔しさを堪えながら、ブン太が問う。


「命に別状はありません。しかし、頭を強く打ったようです。目覚める気配はまだありません…。」


医師の言葉に再び沈黙が降りる。

―待つしかない。

そういう意味だった…。


―それから数日後。全員の元に、幸村が目を覚ましたという知らせが舞い込んできた。急いで病院へ向かうメンバー。


「幸村!!」


駆け込むと、ベッドの上に上半身を起こした幸村が淡く微笑んでいた。


「皆、心配かけてごめんね。」


「俺達のことはいいんだっ。それより真田が…っ!」


泣き崩れそうな勢いで言うブン太。しかし、当の幸村はポカンとしている。そして…。


「真田って…誰?」





「一時的な記憶障害です。」


あのあとすぐに医師へ報告。いくつかの検査を行った後、彼はそう告げた。


「まさか…。」


「多分、目の前で事故を目撃したショックからきたものでしょう。亡くなった真田君の記憶だけが綺麗に消えてしまっています。
封印してしまうほど、彼の存在が大きかったのでしょう。」


「…戻る見込みは…?」


「分かりません。でも、何かがきっかけとなって思い出す可能性は十分にあります。」


医師はそう言った。





その後、1度だけブン太とジャッカルが幸村に真田の話をしたことがあった。しかし、し始めてすぐ、幸村は頭を抱えて苦しんだのだ。
それ以来、真田の話をすることは一切なくなったが、しばらくの間幸村は夜何かにうなされていたという。


数日後、退院してからは以前と同じ日々が再び始まった。
…ただそこに真田のいない日々が…。


―それから1年。再び桜の咲く季節に、彼は…。





「何故…お前がここに…?それにやり残したことだと?」


震える口で言葉を紡ぐ蓮二。隣にいるブン太も、戸惑いの表情が隠せない。


「…幸村に伝えたいことがあるんだ。」


静かに言う真田。


「だが、それを伝えることはもはや叶わないだろう。」


悲しそうに言う真田に、はっとする。


「弦一郎…。」


「仕方のないことだ。あんなことがあればな…。」


再び訪れる、沈黙。と、口を開いたのはブン太。


「…なあ、お前は伝えたいことがあるから戻って来たんだろ?ってことは…生き返った…のか?」


「!!!」


ブン太の言葉は最もだった。目の前にいる真田には足もちゃんとある。断じて幽霊といったものではない。しかし…。


「生き返ったわけではないんだ。」


悲しそうに、真田は言う。


「…神との約束でな。いつまでも幸村のことを引きずる俺に、言ったんだ。『思い出の桜の花の、最後の1枚が散るまでに想いを伝えろ。』と。
俺がいられるのは、この桜が散るまでだ…。」


そう言って真田は桜の木を見上げる。この桜に込められた特別な思い。


『幸村、お前のことが好きだ。』


真田が幸村に告白し、互いの想いが結ばれたのがこの場所なのだった。
愛しそうに、悲しそうに桜を見上げている彼の姿があまりにも痛々しくて、蓮二は己の拳を強く握った。


「…俺達に、何か出来ることはないのか…?」


「蓮二…。」


呟くように言う蓮二。彼を真田は様々な感情の混じった目で見つめる。


この想いを再び伝えることが出来たら…。


そう切に思う。しかし、もう幸村を悲しませることはしたくなかった。ゆっくりと、首を横に振る。


「いいんだ。もう1度思い出しても、例え元に戻ることが出来ても俺はあいつの側にいてやることは出来ない。
また悲しませるくらいなら、思い出さないほうがいい。」


「真田…。」


「そんな顔をするな。いいんだ。幸村に再び会うことが出来たのだから。それだけで俺は十分だ。」


そう言う真田の表情は、気丈にしていても悲しみの色が濃く浮き出ていた。


(このまま、別れなどむかえさせたりはしない。)


心の中で、蓮二は誓う。
2人の幸せそうな表情をずっと見てきた。彼等の幸せを、心の底から祈っていた。
突然の悲劇に引き裂かれた2人。例え再び悲しみが訪れようと元に戻してみせると蓮二は強く、強く誓った―





「遅くなってすいません。」


古びたドアの開く音。それと共に現れたのは柳生。


「構わない。俺達も今来た所だ。」


柳生に向かって声をかけたのは柳。彼の側には、幸村と赤也を除いた全員が集まっていた。


「…それで、一体何があったんだ?」


ジャッカルに促されると、柳とブン太が互いの顔を見合わせる。流れる沈黙。


「メールでは『大事な話がある。』としかありませんでした。一体何があったんですか?話して下さい。」


柳生にそう促されると、遂にブン太が口を開いた。
…そして、彼の口から語られたのは信じがたいもの。


「真田が…?」


驚きを隠せない面々。それもそうだろう。真田が幸村にメッセージを伝えるために、再び戻って来たというのだから。


「…辛いな。」


ポツリと言ったのは仁王。その言葉に、全員の顔が曇る。
それもそうだろう。幸村のために戻って来た真田。しかし肝心の幸村には、真田との記憶が失われてしまっている。


「…真田はそれで構わないって言った。忘れてたほうが幸村にはいいって。
でも!俺はそうは思わない。」


ブン太の言葉に、全員は共感したように頷く。思いは、一緒だった―


「幸村君の記憶を、戻しましょう。なんとしても。例え短くとも、そのほうがいいと私は思います。」


「俺も柳生に賛成だ。やってみようぜ。」


口々に言う。反対されたらどうしようという不安が、静かに消えていく。


「分かった。やってみよう。」


彼等は決意する。引き裂かれた2人を、再び繋げようと―





「じゃあ皆お疲れ様。」


幸村はそう言って今日も部室に残る。


「お疲れ。じゃあ俺らは先に帰るな。」


そう言って鞄を掴むのはジャッカル。彼に促され、赤也も立ち上がる。


「先輩達お疲れ様っす〜。」


部室を後にする2人。だが、残りのメンバーが帰る気配はない。


『精一に、話す。』


そう決めたのは昼休みのこと。昨日のようにジャッカルが赤也と共に帰り、その後に残った蓮二達が幸村に真田のことを話すことになったのだ。


「あれ?皆今日はまだ帰らないの?」


訝しげに問う幸村。その彼に、蓮二達は言う。


「幸村、大事な話があるんだ―。」





はらり、はらり。
1枚、また1枚と花びらは舞い落ちる。確実に時は迫っていた。それを真田は1人、静かに佇みながら眺めている。


「…いいんだ。これは俺が決めたことなのだから…。」


小さな呟きが、暗くなり始めた空に吸い込まれ誰にも聞かれることなく消えていった―





「…えっ…?」


驚きに目を見開く幸村。目の前には苦しそうな表情の仲間達。


―真田は同じ時を過ごしあった仲間で、幸村の恋人でもあった。だが、今から丁度1年前事故に遭い、幸村を庇って命を落とした。
その事故のショックから、幸村は真田に関する記憶を全て失った…。


「そんな話、信じれるわけないじゃない…。真田が…。」


「…本当の話だ。俺も最初は信じられなかった。だが真実だ。」


言い切る蓮二。困惑する幸村。


「…思い出せない。何も…!そんなに大切な人だったのなら、何故思い出せないんだっ?!」


頭を抱え床にしゃがみ込む幸村。彼の背を、ブン太が悲しそうな表情をしながら擦る。


「…幸村君、真田君に会ってきたらどうでしょう?」


悲しみの表情をしつつも、そう薦めたのは柳生。


「えっ…?」


「思い出せなくてもいいじゃありませんか。仕方のないことです。それよりも、共にいることのほうが大切だと私は思うんです。
幸村君、貴方は真田君といてどうでしたか?」


「…何か、すごく落ち着いたんだ。まるで初めて会ったわけじゃない気がして。
記憶がないから、って言われてちょっとだけ納得した所もあったんだ。前に共にいたからそんな気がしたんだって。」


「…幸村、真田の側に行ってやるナリ。いて、一緒にいてやったほうがいい。」


「無理に思い出す必要なんてないんだ。一緒にいれる時間を大切にしろ。」


優しく、幸村の背中を押す皆。それに彼は頷く。


「分かった。ありがとう。」


立ち上がり、部室を飛び出して行く彼。その後ろ姿を見送りながら、全員は祈った。
例え一時だったとしても、幸せになってくれと―。





「真田…っ!」


聞こえてきた声にゆっくりと振り返る。そこにいたのは、必死な表情の幸村。


「…一体どうしたのだ?」


彼の表情から、なんとなくは検討が付いていたが敢えて尋ねる。


「…っ。」


何か言葉を発しようと口が開くが、上手く言葉が出ない。次の瞬間、泣きそうな顔をしながら真田に思いっ切り抱き付いた。


「幸村…?」


「ごめんっ…ごめん真田…っ。」


すがりつき、涙を零す幸村。真田は一瞬ためらうが、幸村を強く、強く抱き締めた。


(温かい…。)


久し振りに触れた幸村の体は、とても温かかった。


「ごめん真田…っ。俺…俺っ。」


「泣かないでくれ。俺は、お前を泣かせるために戻って来たのではない。もう1度、会うために戻って来たんだ。」


そう言って、指で幸村の涙を優しく拭う。


「笑ってくれ。お前の笑顔が、俺は1番見たいんだ。」


真田のその言葉に、幸村は一瞬彼の顔を見つめる。そして、にこりと綺麗に、本当に綺麗な笑顔を浮かべた―





はらり、はらり。

儚い花は舞い落ちる。1枚、また1枚と。別れの時は確実に…。





「…桜が…。」


…あれから数日。失われた時を取り戻すかのように、真田と幸村の2人はいつも一緒にいた。
真実を知ったことで、幸村は徐々に過去の記憶を取り戻していった。
最初心配されていた拒否反応が出ることがなかったことに、全員は安堵の息を漏らしていた。


幸せそうな表情。だが、それがいつまでも続かないことを、皆知っていた―





「真田っ!!」


いつもの日常だった。授業を受けて、部活をやって。その中に真田の姿があることも。
1年ぶりの幸せな、穏やかな時間。


だが、その日は何かが…違った。


気付いたら隣にいたはずの真田の姿がなかった。辺りを見回すも、見つからない。不安が、とてつもなく大きな不安が身を包む。


「幸村!」


気付いたら走り出していた。


「真田…っ、真田っ!!」


彼がいるであろう場所はあそこしか考えられなかった。2人の思い出の桜の木。そこに向かい全力で駆ける。


はらり、はらり。


駆けていると自分の元に舞い落ちてくる桜の花びら。焦る気持ちが募る。
ここ数日、桜の花が散る速度は上がっていた。


『思い出の桜の最後の花びらが舞い落ちるまで。』


真田の言った、別れの時。そんなはずがないと、信じたかった。真田はいつまでも自分の側にいると。
だが、それとは裏腹に、ふとした瞬間に曇る彼の表情。
見て見ぬふりを、していた。真田が自分の側からいなくなるなど、信じたくなかったから。


お願いだから、もう俺の側からいなくならないで。俺をもう、1人にしないで―


必死に駆け、見えてきた桜の木。数日前までは満開だったそれが、今やほとんど花を散らしていた。そして、そこには―


「真田っ!」


静かに振り返った真田の表情は、とても、とても悲しそうだった…。





「真田…っ。」


駆け寄ってくるなりギュッとしがみついてきた幸村。少しためらいながらも、彼の細い体を抱き締める。


「お願いだからっ、お願いだからもうどこにも行かないでっ。俺を1人にしないで…っ。」


「幸村…。」


彼を、力を込めて抱き締める。


「すまない…。」


「…なんで…なんでなのさっ!また会えたのにっ、なんで神様は俺から真田を奪っていくの?!」


嗚咽を漏らし、泣きじゃくる。
桜の花がまた1枚、ヒラヒラと落ちていく…。


「そういう約束なんだ。だが、俺はよかったと思ってる。短い間だったが、また会うことが出来たのだから。
それに今度は、ちゃんと別れの言葉を言うことも出来る…。」


真田のその言葉に、幸村の顔が悲しみに歪む。


「そんな言葉、聞きたくないっ!」


両手で耳を塞ぎ、聞くまいとする。更には目をギュッと閉じる。そんな幸村の手を、真田は優しく包み込む。


「幸村、お前に会うことが出来て本当によかった。」


真田は言葉を紡ぐ。


「ふがいなかったが、それでも側にいれたこと、幸せに思う。」


耳を塞いでも聞こえる真田の言葉。だが、ハッと気付いた。自分の手を包み込んでいる真田の体温が、少しずつ薄らいでいっていることに…。


「真田っ?!」


目を開き、彼を見つめると寂しそうな笑みをする真田。
…そんな彼の体は、徐々に消えかかっていた…。


「…もう時間のようだ。」


「嫌っ!いやぁっ!!」


消えゆく真田の存在をつなぎ止めるかのように、強く、強く彼の体にしがみつく。


「幸村、最後に聞いてくれ。」


彼の言葉に顔を上げれば、そっと頬を撫でられる。


「笑っていてくれ。泣いてるお前の姿など、見ていたくはないんだ。お前が笑っていてくれたら、俺はもう何も思い残すことはない。」


真田のその望みに、幸村はこくりと頷く。


「ありがとう。」


幸村の言葉に、真田は本当に綺麗な笑みを浮かべた。釣られて幸村も、にこりと笑う。


「幸村。」


名前を呼びながら、真田の顔がゆっくりと近付いてくる。そっと目を閉じると、唇に触れる温かな感触。


「ありがとう。」


最期に抱き締めた真田の体は、とても温かかった―


はらり、はらり。
最期の桜の花びらが、静かに舞い落ちた―





「真田。」


見上げる先には、満開の桜の木。淡いピンクの花びらが、はらりはらりと綺麗なそれは舞い落ちる。
あれから、1年の月日が流れていた。


「幸村ー。」


仲間の呼ぶ声が聞こえる。


「真田。俺、ちゃんと笑ってるよ。」


ニコリと微笑み、幸村はその場を静かに去って行った。


『ずっと見守っているよ―』


花びらがまた1枚、静かに舞い落ちた―





08.4.10〜08.5.7 発行









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送